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法華寺

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法華寺

宗派 日蓮宗

名称 松見山 法華寺(しょうけんざん ほっけじ)

住所 〒957-0053新発田市中央町1−4−10

本尊 一塔両尊四士

開山 慈照院日覚(じしょういんにちかく) 上人

開基 坂井式部秀政(さかいしきぶひでまさ)

寺宝

  • 土佐守画像
  • 溝口伯者守秀勝公画像(准宗宝)
  • 宗祖日蓮聖人御真骨
  • 宗祖御真筆曼荼羅
  • 法華経八巻写経(万里小路宰相写)
  • 鳳足碩一枚
  • 秀頼公書幅等

定例行事

  • 毎月1日 朝7時より「盛運祈願会(せいうんきがんえ)
  • 毎月19日 午前11時より「ボケ封じ七面大明神御祈祷会」
  • 毎月19日 午後18時半より20時半まで「法華経講義」
  • 毎月第1土曜日 朝7時より「アサ粥の会」

由緒沿革

慶長3年(1598)3月の創立。
慈照院日覚は丹波領主大雲寺殿前土佐守の子息で、のちの織田信長の家臣・坂井式部秀政の猶子(ゆうし) (甥)となり、京都大本山妙顕寺11世日教に従って学び、出家得度した。
慈照院日覚は加賀の妙海寺に住職していたが、坂井式部秀政が後の初代新発田藩主溝口秀勝の家臣となり、石川県の加賀大聖寺より新発田の地に移る由、これに随従し、初代新発田藩主溝口秀勝・坂井式部秀政ならびに新発田藩の安泰を祈る事になった。
溝口秀勝は新発田城を建立。その城より眺める所に小高い松のそびえる山があり、この地に「一宇を建立せよ」との仰せに従い寺を建立し、お城から「松の見える山」として松見山法華寺(しょうけんざんほっけじ) と号した。
当時は藩主ならびに新発田藩の隆昌を左右する為の祈願寺として名も高く、境内は15,000坪あったと言われ、隣接する瑞雲寺真称寺・得生寺・蓮昌寺の4カ寺は当山の地を分譲したものとされる。
寛永7年に藩主溝口宣直より1町2反余りの寄進があり寺運も隆昌し、学問所や弟子教育のなどに栄えたが、文政11年(1828)4月に祝融(しゅくゆう)(わざわい)(中国神話の火の神)にかかり全山焼失。
新発田藩の御祈祷寺である当山が焼失し、取り急ぎ同年8月のに庫裡、嘉永7年(1853)4月に仮本堂を再建。再び新発田藩の行く末と安穏を祈る。
それより160余年の月日が経ち本堂・庫裡が朽ち改修、平成4年(1992)10月に当山25世日道により本堂・書院・庫裡を新築。
平成20年(2008)10月、山門新築し、中に邪悪を除く金剛力士を安置、仁王門とし檀信徒の隆昌ならびにの寺門興隆を祈る。

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