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宝光寺

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宝光寺

宗派 曹洞宗

名称 廣澤山 寳光寺(こうたくさん ほうこうじ)

住所 新発田市諏訪町2−4−17

本尊 釈迦牟尼仏

開山 雪堂元初大和尚

開基 新発田藩祖溝口伯耆守秀勝公

寺宝 勝軍地蔵菩薩立像(新潟県指定文化財)、阿弥陀如来立像、山門、新発田藩歴代藩主肖像画十二幅、新発田藩版の版木、歴代藩主墓地、経蔵(以上、新発田市指定文化財)、城東窟の桜(新発田市保存樹木)、七代藩主筆大涅槃図一幅

由緒沿革

溝口秀勝公は若狭高浜から加賀大聖寺に移ると、若狭の諦應寺雪堂元初の弟子雪崗全林を迎え、当山を開創した。寺名を大麟寺といい、雪崗は師雪堂を開山に拝請した。開創年は天正十一年(1583)から文禄四年(1595)の間と考えられる。
当寺はその後、公の入部とともに慶長三年(1598)新発田に移り、五十公野を経て当所へ来た。公の没後寺号を淨見寺と改め、更に宝永六年(1709)五代将軍綱吉が他界し常憲院と称したので、これを憚り、秀勝公が淨見寺殿とよばれたのを寳光寺殿とし、寺号も寳光寺と改めた。
以来、藩主溝口家代々の菩提寺として寺域はかつて8,146坪もあり、領内曹洞宗の触頭(ふれがしら)を勤めた。現在十二の末寺と一つの末庵がある。宝暦三年(1753)自火により焼け(山門・秋葉社・土蔵残る)歳末に再建。文政十一年(1828)に類焼の時(経蔵・秋葉社・表門残る)は四年後の天保三年(1832)に本堂・庫裡完成、山門と廻廊は自費として弘化元年(1844)着工、嘉永二年(1849)に落成した。
平成十二年(2000)には、客殿・庫裏の全面改築が完了し、開山四百回忌とともに落慶法要を営んだ。

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